「愛する」ことは「手放す」こと

 

愛とは、手放すこと

この言葉にものすごく救われたことがあるんです。

 

子どもを持ったり家庭に入ると、自分のやりたいようには何もできなくなる。

子どもが小さいときは特に自分の時間なんてないし、誰かと生きていくって事は自由はなくなる。

 

ずっとずっと大好きなダンスを仕事にしていきたかったけど、

それができなくなって、でも仕方ないって我慢し続けて、ノイローゼになった。。。

 

でも、この言葉に出会えたときにね、

「ああ、そっか、愛するものができたってことなんだ」って妙に腑に落ちたんですよ。

 

「捨てる」ではなく「手放す」

 

捨てるのではなく、一時手放すこと。

 

もちろん手放したことで必要がないものだったと気づくこともあるかもしれない。

それは結果捨てることになるのかもしれないけど、

自分が納得して捨てたものなら悔いはない。

 

そう思ったらね、「ダンスや歌は愛するものができたから、

一時的に手放してるんだね」って思えてものすごく楽になった。

 

価値観とかもそうだと思う、「好き」で済んでいた時代は手放すものなんかなかったかもしれない。

でもそれが「愛する」に変わると、自分が絶対だと思っていた価値観を手放すことも必要。

 

あとは、「情」を手放すことが必要なときもある。

好きだという「情」ばかりで甘やかしたり、見逃したり、、、

 

でもそれが「愛」に変わると「情」を手放して、

厳しく突き放さなければいけないこともある。

 

子育てでも、夫婦でも、愛するものと関わるってこういうことなんだろうなって思います。

 

なんで私ばっかり、なんで俺ばっかり。。。

もしそんな風に思うことがあったら、

 

「自分には愛する存在がいるってことなんだな」

「そのために今これを手放してるんだな」

って思ってみてください♪きっと少し楽になるはずだから^^

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございました♪

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ABOUTこの記事をかいた人

佐瑠女みか(さるめみか):秋田県生まれの東京育ち。実家は教会、父親が牧師という環境に育ち、多くのカップルが「結婚前教育」を受けた上で幸せな結婚生活のスタートを切る現場に立ち会ってきた。結婚、出産、起業という様々なライフイベントを経験し、人が人生の分岐点に立った時、将来を見据えて幸せを感じられる選択ができるよう「ライフデザイン的視点」でライフイベントを捉えられるアドバイスを全国で行っている。(本名は吉村みか)